仕事情報誌ドカント

稲川淳二 稲川淳二
 稲川淳二といえば、何を思い出すだろうか。レポーター、体当たりのギャグ、そして怪談の語り部…。さらにデザイナーとしても多くの作品を残している。様々な顔と多彩な芸を持ち、芸能界でのその地位を確立しても、ファンやスタッフへの感謝を忘れない。業界を生き抜いてきた術はその腰の低さであり、そしてなにより彼が『普通の、いい人』だからなのだろう。

INTERVIEW /前田裕子 PHOTO/HIROKAZ

---小さいころはどんな子供でしたか?
それがね、寡黙な少年だったんですよ。 でも好奇心は人一倍でしたねぇ。例えば、家の近くにカメラ屋があったんだけど、毎日行って一日中ずーっと観てました。

---両親はそんな稲川さんを見て何と?
うちは姉と弟がいるんですけど、私は最もできが悪かったの。でも絵だけは得意でいつも金賞を取ってまして。 やっぱり観察眼があったんでしょうね。親にしてみればダメだと思ってたせがれが一番を取ったもんだから、ビックリしたんじゃないでしょうか。

---寡黙な少年から変わったきっかけは?
小学校3年生で賞をもらって自信がつきましたし、芸があると女の子にモテるんです。 『自分にもできることがあるんだ』と思って、卒業する頃にはうるさい子供になってました。

---中学校は美術部に入ったんですか?
ひねくれてたので入りませんでした。でも高校では入部しましたよ。先生にもかわいがってもらったんだけど、『おまえみたいなオシャベリは絵描きに向かない』っていわれてましてね、そうなのかなぁと少し悩みました。

---その後、デザイナーの道を目指します。
昔は有名な美術学校といえば千葉大と桑沢デザイン学園だったんですけど、最初に他の美大を合格してて。 でも気が進まなかったんですよ。渋谷生まれだし都会を離れたくなかったんですね。4年間カッコよく遊んで暮らせればいいなぁぐらいに思ってたんで。

---桑沢に入学したきっかけは。
気まぐれに夏季講習に行ったとき、すごいかっこいいカップルが画材を買ってて、それがいつも見てるファッション雑誌の2人だったんです。 『すごいなー、こんな生徒がいるんだ』って感心してたら、今度は当時、滅多に買えないチェスターコートを着て、赤い色のアタッシュケースを持った男の人がミニ・クーパに滑り込んでいったの。日本にそんな車がなかった時代ですよ。 それがVANの社長の石津謙介さん。もう胸が高鳴っちゃって。

---それで試験を受けてみたと。
受験はですね、ズルイことしたんですよ。スーツを着て先生のフリして教室に入ったんです。 誰も受験生なんて気づかないので、デッサンの石膏を自分に向けて、絵の具は5色以内って決められてたのに、20色以上持って行って机の中に隠したの。学科はカンニングですよ(笑)。

---試験は難なくこなされて(笑)、無事に卒業し、 デザイナーとして地位も確立しましたが、 なぜ芸能界に入ろうと思ったのでしょう。
実は芸能美術をやりたかったんです。美術やってれば絵も図面も描けるし。それで舞台関係者に会いに行ったら、舞台の演出家が転換の幕間に、ちょっと出てみない?って。  それが借金取りの役ですよ。死んじゃう役者の側にいって『おーい』っていうだけ(笑)。

---周りにいろんなかたがいたはずなのに、 なぜ稲川さんに声をかけられたのでしょう?
裏方の手伝いがてら、お酒のコマーシャルを作る現場に呼ばれたことがあったんです。徹夜仕事で疲れてるときにフッと横を見たら、CMで使うお酒が置いてある。   クライアントにお許しをいただいておこぼれを頂戴してたんですが、実際に出演するタレントさんが、飲み過ぎでダウンしちゃったんです。そこで先輩に呼ばれて、ちょっとカメラに映ってくれって。で、お酒も入ってるしノリで演ったら、後日、CMに私が出てるの(笑)。   そんなことがあって、舞台関係者が私の顔を覚えてくれてたんですね。

---そのあとにもいろんな逸話が…。
子供番組のオーディションに若手を連れていったら、ちょうど知り合いがいましてね、そこでも声をかけられまして。 3つか4つ、ネタをやったらすごいウケて、結果、私が受かったというのもありました。

---意外な方法で芸能界入りされてますが、 稲川さんの成功の秘訣というのは?
人の繋がりと好奇心ですかね。珍しい、面白いという観点で物事を見るのはいいことだと思うんですよ。そういう点ではデザインとお笑いの世界は同じじゃないかと。

---デザインは作品を作る、お笑いは自分が前に出るという 違いだけですね。ところで、芸能界では稲川さんは オールマイティにいろんなことをやってらっしゃいますよね。
リアクションの王様、熱湯風呂評論家といわれてねぇ(笑)。体を張ったものとヨイショ芸に関してはいろいろやりましたね。

---サバイバルな企画もこなされてますが、 これだけはできないというものはありましたか?
お寺で飼ってたトラが逃げて大騒ぎになったことがあったんです。大変だなぁと思ってたら、キー局2つから同時に電話があって『トラの着ぐるみ着て出て』って。 間違って猟友会に撃たれたりしたら危ないじゃない…と考えながら即OKしましたよ(笑)。でもまた同時に電話がきて『企画はナシになりました』って(笑)。

---『これだけは負けない』という信念は?
失敗ができる自信かな。あとは体が丈夫なので、絶対に死なないという気持ち(笑)。トラの唇に口紅を塗って、キスマークをつけるっていう企画もやりましたねぇ。

---体を張った役から、怪談の語り部になるきっかけというのは何だったのでしょう。
「深夜ラジオをやってたときに、ヒマな時間を使って怖い話をしてたの。そしたらみんなが本番でもやろうって。ある日ね、リスナーからハガキで怪談話がきて『この話怖いね』って大騒ぎしたのが『赤いはんてん』。 その『赤いはんてん着せましょか〜』っていうメロディーを作ったのは、私だったんですよ。

---7月から毎年恒例の怪談ナイトツアーが始まりますが、 公演を立ち上げるきっかけは?
自主公演で催したら、コンサートのコーディネーターにツアーを組む気はないかと誘われたんですね。最初は渋ったんですけど、実際やってみたら当たっちゃって。

---10年間やり続けた感想は?
生きててよかったと思います。長年つき合ってくれるファンがいるのはうれしいですし、日本全国から集まってきて、中にはご老人もいらっしゃる。 喜んでもらえるように何かを還元しようと思いますよ。それに、お笑いの楽屋は暗いですけど、怪談ライブって楽屋もお客さんも明るくて楽しいんです。

---ファンのために続けてるといえますね。
あと何年生きられるかわからないけど、自分のことを信じてくれた、愛してくれた人を裏切らないことが大切だと思うんですよ。 テレビでおいしい仕事があったとしても、ファンが待ってるのならそこに行きますし。



---様々な方がいらっしゃる業界で、 生き抜いていく秘訣というのは何でしょう?
自分が持ってる欲望のまま、素直にやってみるということですかねぇ。私は恥をかくことに抵抗がなかった。優等生には難しいやり方だけど、恥をかくと目立つし、次の機会にうまくやれば上手になった気になるので、得なんですよ。   あとはちょっとしたフリーター意識ですね。デザイナーも楽しいけど、それだけだったら今の人生がなかったと思うんです。   デザイナーを辞めて、自分がちゃらんぽらんな時期があったからこうやってこれたんでしょうね。

---これからやってみたいことはありますか。
デザイナーも、お笑いもやっていきたいんですけど…ちょっと作ってみたい作品があるんですよ。でも体力的に難しいかなぁと。  もし作る決心がついたら公表します。不言実行よりも有言実行のほうが正しいと思うので。

---今後の目標は何でしょうか。
毎年映画を撮っているんですけど、もっと本物に近い仕掛けを作りたいですねぇ。  テクニックを使って『稲川がデザイナーだからできた』という作品をやりたいんです。

---いくつかの職を経て、色々な肩書きを持ってらっしゃいますが、今の時代は定職につかないフリーターという地位が認められています。 束縛されずに生きる若者を、どう思われますか?
フリーターには自由な時間が多いと思いますが、空き時間で得ることって多いんですよ。私もこの世界に入ったのは遅いんですけど、その間ってちっとも無駄じゃなかったな。  例えば一生懸命考えても出なかったアイデアが、ボヤーッとしているときに浮かんだりするんですよ。

---では最後にフリーターと呼ばれる方々へメッセージをお願いします。
「あなたたちは決して『無』じゃなく、選ぶ権利と自由な時間がある。夢を持つ権利は誰でも持っているし、フリーターでいられるからこそ、いろんなことに挑戦できるんです。  今は待てる時代。 待っているからこそ、よりいいものが見つかるかも知れないし、向こうからやってくるかもしれない。  チャンスはどこにでもあるけど、気がつかないだけ。それはまさに幽霊と同じですよ(笑)



 ここでは、西田さんとしておきましょうか。 あるとき妙な話をしてくれたんです。私がこの業界に入ったころにあった事件で、北アルプスの登山者が滑落したらしく、死んだまま岩場からプラーンってぶら下がってる。その回収映像を撮りに西田さんは民放各社で行ったんだ。

 で、登っていくと、すごい嵐なもんですから、「ゴォー!!」って音でしゃべってる声もかき消される。なんとか途中の山小屋まで行ったんだけど、もう風と雪がすごいんだ。西田さんも相当な豪傑なんだけど、なかなか寝付けなくてね…。

  布団の中でまんじりとしてたら、ふと、遠くのほうから「ザッザッ…ザッザッ」って足音がする。あとから追って来たヤツが来たんだと思って、「おーい、こっちだぞー!!」って叫んで、誘導してやったの。そしたら、入り口まで来る足音が聞こえたんだけど…姿が見えない。

 どこに行ったんだと思いながら一晩を明かしたら、小屋の前に足跡がついてる。「やっぱり、深夜に誰か来たんだ」と急いでその跡を追ってみたんだけど、急にフッと足跡が消えたと思ったら…途端に「ザザザザーーッ」と崖の下に落ちそうになってね、いやー、危なかったって。

 すんでのところで命拾いして、フと下を見たら赤と金色のジャンパーを着た死体が見える。「夜に来たヤツは落っこちたんだ」って思いながら、無線で誰が来たのか聞いたら、そんな服をきてるヤツはいないって。いい争っても仕方ないから、そっちは他の救助隊を出して回収したんだけど…その死体を解剖したら「このご遺体は死後一年ほど経過してます」と。そんなバカな…足音は昨日聞こえたのに…。

 そこでフと思った。小屋まで来て足音を聞かせたのはそいつの幽霊で、自分の居場所を教えたかったんだろうなって。
 それから20年程たって、ある日ばったり西田さんに会ってその雪山の話しになった。「稲川さん、あの出来事には後日談があるんです…」。

 あの後、岩場からぶら下がってた死体のご両親が、息子を偲ぶ会を催すことになって、西田さんにお呼びがかかったんだ。思い出話に浸りながら、日記や写真を見せてもらってると、参加者の一人が神妙な顔でいうんです。

「あの日、他の遭難者の死体を発見しましたよね。その人がなぜか彼と一緒に写真に写ってるんですよ」って。「いや、あの遭難者は1年前に死んでるはずだから、一緒に写ってるわけがない!」…その写真を見せてもらったら、団体写真の左端に写ってる彼の隣で、肩に手を置いてにこやかに笑ってる人は、間違いなく金色と赤のジャンパー。

 そこで気づいたんですよ。死んだ男としては自分の死体を見つけて欲しい。どうしたら見つけてくれるかというと、誰かが遭難したら助けに来るだろうと。「じゃあ、誰を殺そうか、誰を犠牲者にしようかな、誰に死んでもらおうかな、ど・れ・に・し・よ・う・か・な、こいつにきーめたぁ!」って幽霊は笑ったんです…。
INFORMATION
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稲川淳二の怪談ナイト
MYSTERY NIGHT TOUR 2004
07/30(金)
立川市市民会館 

問い合わせ:久保アートプロデュース
042-540-0107 
07/31(土) 郡山市 創空間 富や蔵
問い合わせ:ノースロードミュージック
022-256-1000
08/10(火) 東京會館 (ディナーショー) 
問い合わせ:東京會館
03-3215-2111
08/20(金) グリーンホール相模大野
問い合わせ:KMミュージック
045-201-9999
08/27(金) かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
問い合わせ:東京音協
03-3201-8116
09/03(金) 横浜関内ホール
問い合わせ:KMミュージック
045-201-9999
09/04(土) さいたま市民会館おおみや 
問い合わせ:KMミュージック
045-201-9999
09/05(日) 鎌倉芸術館
問い合わせ:KMミュージック
045-201-9999
09/24(金) 東京メルパルクホール
問い合わせ:東京音協
03-3201-8116
10/08(金) クラブチッタ川崎
問い合わせ:クラブチッタ
044-246-8888



<リリース情報>
稲川淳二の怪奇の夜話
発売中
全国セブンイレブン/サークルKにて ¥1,890(税込)期間限定販売
「ベランダの顔」「リヤカー」「夜中に目をさますな!」等7話、51分を収録



PROFILE

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稲川淳二(いながわ・じゅんじ)

1947年8月21日、東京都渋谷区恵比寿生まれ。タレント・工業デザイナー。桑沢デザイン研究所を経て工業デザイナー・タレントとして活動。日本テレビ「ルックルック」、NHK大河ドラマ他、多くの番組に出演。平成8年、通商産 業省選定グッドデザイン賞「車どめ」を受賞。全国ツアーの怪談ライブも今年で12年目を迎える。
公式サイト↓
http://www.j-inagawa.com/



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