仕事情報誌ドカント

森田健作 森田健作
 懐かしのVTRで見かける、あっけらかんとした笑顔の森田健作からは、デビュー直後の転落と挫折は見えてこない。しかしその苦境を乗り越え、不動のアイドルへ。その後も社会に貢献するためには?と自問自答し続け政治家に。さらに自分だけが伝えられることは何か?と、8年の構想の末の映画製作を始めた。どんなときも激しく突き進む、清酒ウスターの正義と情熱の深淵に迫る!!

INTERVIEW /佐々木竜太 PHOTO/谷口達郎

---最初は最近の話題からお聞きしたいのですが、映画「I am 日本人」を製作することになったきっかけと経緯を教えていただけますか?
これは私が文部政務次官のころ、日本人の誇りとか良さとかが失われているのではないか? と考えたことから始まるんです。そしてそれをなんとか国民の皆さまに分かってもらおうと。 しかしお役所というのは難しい文書ばかり出して、いろいろなことが伝わりづらいんですよ。私は映像の人間だったから、映像を通して分かりやすく子供たちに教えたいと。ところが、それがだいたい4億くらいかかるんですよ。で、当時はそれができなかった。結局、この着想から出発し、8年経ってやっと実現したというわけです。

---どんな内容の作品なんでしょうか?
いうなれば日本人の誇りと、日本人のアイデンティティを取り戻し、もう一度私達は原点に戻ろうじゃないか…。日系3世の女の子を通して、もう一度見直そうじゃないかという…そういう映画です。

---企画、原案、製作、総指揮、出演と1人5役でプロデュースをされると。
構想8年、総製作費4億円を投入してね(笑)。原作も、脚本も、タイトルもみんな私。

---良き日本人像のイメージは。
私の父親が明治生まれで、96歳になりますが元気ですよ。日本人というのは、人を思う気持ちとか、奥ゆかしさ、これは絶対に負けない。 あとは武士道、大和魂。そう、映画の台本を書いた時、『日本男児』が頭に浮かんで、藤岡弘、さんに出演依頼をしたんです。共演は35年振りですか。先人があって、今の自分達がある、当たり前のことを忘れてはいけないと思う。

---森田さんの子供時代はどんな…。
小学校の時のことなんですけど。ある時、先生に呼ばれて『友達係になれ!』って言われましてね。学級委員じゃないんだな。『友達係』なんですよ(笑)。

---えっ?『友達係』ですか!?
当時は転校が多かったんだけど、転校してきた生徒にだいたい始めに声かけるのが私なんです。「お〜!どっから来たの」とか「遊びにこいよ」みたいな。やっぱりそういうのを先生が見てたんでしょうね。

---そのことを見込まれて『友達係』になったわけですね。具体的なエピソードはありますか?
当時、学校給食が水曜だけ弁当で。みんな母親がいっぱい、いろんなもの作って持たせるわけですよ。そんな中で一人だけ隠して弁当食ってる彼がいて。オカズがないんですよ、日の丸弁当で。さらに家が長屋で雨漏りがするとか、体が臭いとか言われてて…。

---その子はイジメられていたわけですね。
そう、仲間はずれだね。最初はオレも『まぁしょうがねぇな。アイツはああだから』って感じだったんだけれども、ある時、母親に非常に怒られて。『友達にいいことをすればいいことが返ってくる、悪いことをすれば悪いことが返ってくるんだよ』って。あと『お前がその友達だったらどんな気持ちがする? もしお前がそのお友達だったらってことを1回は考えなさい』って言われたんですよ。

---正義感の強いお母さんだったんですね。
で、怒られて半年くらい後に、昼食を作る家庭科の実習があったんです。その時、みんなグループを作るんだけれど、彼だけ誰も入れてくれないんですね。ふと母親に言われたことを思い出して、彼を仲間に入れたんです。そうしたらホントにごはん6杯くらい食べましたね。味噌汁も3杯くらい飲んだし。

---その後、彼とは交流はあるんですか?
中学に入って会わなくなったんですが、私が芸能界に入った時、彼から手紙がきたんですよ。「おめでとう」ってね。…当時の家庭科室の情景は今でも覚えてますよ。仲間外れにされた彼が一人で立っているわけですよ。窓の外を見ながら。それで私が仲間に入れたんです。その時のことを書いてくれましてね。「あの時はもう、2度と学校なんてくるもんか。学校なんてなくなればいいと思ってた。ありがとう」ということを書いてくれたんですよ。 それがね、ものすごくね…やっぱり…まぁずっとアイドル時代になってからも母親に感謝したことなんだ…。その後も転校してきた生徒がいると、なんとなく寂しいだろうと思って。「おぅよ!」みたいな感じでね。で、めでたく『友達係』に就任したんです(笑)。

---芸能界に入ったきっかけを教えてください。
大学受験の浪人のときなんですが…。これはね、映画のようですがね、夜中パッと起きてお手洗いに行こうと思ったら、障子ごしに母親が向こうで内職やってるんですよ。そんなのを夜中の2時ごろかなぁ…見て。母親はやっぱり朝6時前に起きて、ゴハンの支度して、子供たちを学校に送り出している。それを思ったとき、私はとんでもない親不孝をしているなと。私の大学受験のために、夜中まで働いてね。それで、もっと勉強をしっかりやろうと。でも、その時はまずお金が欲しいと思ったんですよ。

---お母さんが夜中まで働いているのを見ると。
当時、黛ジュンさんがレコード大賞取った後、映画の相手役募集をしていたんです。それが賞金50万円ですよ。当時の50万円というと…。

---約10倍近くだから500万円ですか!
これが欲しい! と思って。それで入ったのがきっかけですね。だから不純な動機で。変な話、俳優になろう! 芸能人になろう! だとかはなかったんです。

---そのときも大変だったと思うのですが、今までの人生の中で一番辛かった時期、苦しかった時期はいつですか?
さっき言ったようにデビューした映画が当たって、もう平凡、明星というような芸能雑誌の表紙になって、森田健作特集号が出たりもしたわけです。ところがオーディションにポッと受かっただけで腕はないわけですよ。ようするにバブル人気。盛り上がっている時は『お〜い!ケンちゃ〜ん!!』なんて飛んでくるのが、落ち目になると『こんにちは』ってこちらから声をかけても、目をそらすからね。『ハァ〜ッ…社会ってこういうもんか…』って。50万円もらったし、もう、芸能界を止めちゃおうかなってくらい落ち込んだ時もあるよ



---一度スターになっている分、辛いですね…。
そんなことがあって、家に帰ってある週刊誌をパラパラと見てたら、『あの人は今』なんて特集やってるんですよ。おいおい、この中にオレも入るのか!? って思ってね。だけど一回落ち目になったら戻るのは大変なことですよ。芝居の勉強したって何したってね。オレの映画は人が入らなくなっちゃうし。そんなときウチの事務所も新しい歌手を発掘してヒットを飛ばして。彼と一緒に営業に行っても、彼の控え室は20畳くらいでシャンデリアみたいのがついてて、私は3畳半の狭い部屋。弁当だって、向こうは特上のチラシでオレは並のチラシですよ。

---露骨すぎる差のつけ方ですね。
露骨、露骨(笑)。車だって、彼はアメ車のカマロだよ。私のほうはトヨタの中古車でクーラーも付いてないんだから。私のほうが先輩で、私のほうがスターだって思っているわけなのに。いやぁ〜世間は違うんだと。

---しかしその後、当時の超人気ドラマ「おれは男だ!」で復活を遂げる…。
僕ね、本当にやめようと思ってたんですよ。しかしね、ある時『待てよ?』と思ったんです。 19歳の時ですね。オレは今まで自分の都合の悪いことを全部、人のせいにしてきたんですよ。例えば『ウチが貧乏なのはオヤジの働きが悪いんだ』とか『オレの成績が悪いのは先生の教え方が悪いんだ』とか。売れなくなった時も、マネージャーが悪いんだとか、事務所が悪いんだとか、また人のせいにしてるんですよ。

こんなことじゃ、私は大人になっても絶えず人のせいにする男になっちゃうと思ったら、急に突然、発想の転換が起こったんだよ。ふと思いついたこの転換が後から考えると、人生の大きな分岐点になってたんだけどね。何を思ったか? 『そうだ! 売れている彼を応援してあげよう』と思ったんです。

ファンレターの返事の宛名書きとか、電話の応対とか。で、レコードサイン即売会とかでマイクを持っていると。そしたら聞こえるんだよどこかで『おい、あれ森田健作じゃないの。落ち目になるとあんなこともしなきゃなんないのかよ』ってね。ファンの人が手を出して、オレも反射的に手を出したら『アンタじゃないの』なんて言われた時はホントにきつかったですよ。まだ、19歳の若造だから(笑)。

でもこの発想の転換を信じて、何しろ今は彼を応援するんだ、応援することが必ず次につながるんだということを信じていたんです。そうしていたら1年経ってドラマ『おれは男だ!』の主演が決まったわけなんです



---このドラマによって当時の青春スターの座を不動のものにした森田さんから、現在、青春送っている若者に対して何かメッセージを…。
私は、小学校時代から、格言の日記帳を作っていたんです。400くらい作ったかな。『出る杭は打たれる。出すぎた杭は打たれない』『正義が勝つには時間がかかる』とか、いろいろ作ったんですけど(笑)。今、若者に送るんだったら『努力は決して嘘をつかない』だね。やっぱりね自分で努力をしたんだったら必ず結果が出ますよと。

---でも努力だけじゃ超えられない壁もあるのではないでしょうか? 受験勉強を一生懸命やっても落ちる人は落ちるわけですし…。
これは私が文部政務次官の時に、こういうことを言ったら、ある中学生が『それは嘘だ。自分達はあれだけ頑張って優勝できなかった』と言うんです。『努力したけど優勝できなかった。抱き合って泣いた』とね。 しかし私はその時、『みんなで努力して頑張らなかったら抱き合って泣けたか?』と言ったんですよ。『それはみんなが一生懸命に頑張ったから抱き合って泣けたんだよ』と。結果というのは、必ず優勝だけが結果ではないんだよ…ということが言いたいですね。

---努力って辛くて、大変ですよね…。
努力してる時なんていいことなんてないですよ。私も一時期、辛いときはアイツは落ち目だとか、青春ドラマばっかりやってアイツはバカじゃないかとか、それこそ漫才のネタにまでされましたよ。しかし私はこうだと思ったら、一心にやってきた。そうすると必ず、その結果が出る。 みなさんも、人と自分を見て、まず周りの人よりも自分の何が優れているかを見つけること。これがまず第一で。それを見つけて、それをやり通すということだよ。

---でも、長所を見つけることがまた難しいんですが…。
いや、単純なこと。小学校の時の成績表は5段階評価で体育と音楽が5で、他は2と3の混合だったんですよ。また母親がいいこと言ってくれたんです。『人はね、必要があって生まれてきたんだよ。お前も必要があって生まれてきたんだよ。必ずお前にもいいところがある。だからそこを磨け』ってね。 でもいいところって、何だ? って思って、パッと通知表見ると、体育と音楽しかないわけで、だから剣道を始めて。『おれは男だ!』だって、剣道できなかったらあの役こないですよ。『さらば涙と言おう』だって80万枚売れた歌です、音楽ですよ。 通知表で5だった体育と音楽が森田健作を作っているんです(笑)。大事なことは自分が人よりも何が優れているかを知り、自分が思ったことはやり通す。『努力は決して嘘をつかない』。これをお贈りしますよ! ハッハッハッ!!
INFORMATION
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森田健作公式サイト

ハルウララ公式応援サイト
「うららに会いたい!」

来夏公開予定の「I am 日本人」(月野木隆監督)で13年ぶりに映画をプロデュースする。米で日本人学校の先生をしている日系3世のヒロイン(クリスティーナ)がす叔父(森田健作)の祖国を訪問し、自分が抱いていた日本人像と現実との違いに戸惑いを感じながらも成長する姿を描く。

主演で同映画で女優デビューするモデルの森本クリスティーナ。他に小野真弓、酒井法子、浅香光代、京本政樹、岩本恭生ら。青春時代に松竹映画で育ち共演した先輩・後輩の間柄で、共演は「夕陽が呼んだ男」以来、35年ぶりとなる藤岡弘、の出演も話題だ。

先月、日本でクランクイン、11月末に米ロサンゼルスでのロケが行われる予定。「森田健作 青春スピリット」にゲスト出演した米ハリウッドのアクションスターであるスティーブン・セガールが友情出演する計画もあるという。

 また、あのアイドルホース・ハルウララの応援団長も務める。先に予定していた引退レースは延期となってしまったが、引退後に地方競馬を盛り上げる全国キャラバンを展開する予定で、森田氏が中心になって活動資金を集めるための「ハルウララ基金」を設立。

「モスバーガー」を全国展開するモスフードサービスが趣旨に賛同し、支援に名乗りを上げた。


PROFILE

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森田健作(もりた・けんさく)
1949年12月16日生まれ。東京都出身。55歳。

高校卒業後、69年公開の映画「夕月」(松竹)でデビュー。
71年青春ドラマ「おれは男だ!」(日本テレビ系)に主演し、主題歌「さらば涙と言おう」が大ヒット。その後も青春映画やテレビドラマで活躍し、「青春の巨匠」の代名詞で一躍人気俳優となる。

92年7月参議院議員(東京選挙区)初当選。在職中は沖縄開発政務次官、文部政務次官などを歴任し、98年3月には衆議院議員(東京第4選挙区)初当選。

今年3月には千葉県知事選挙に出馬したが落選し、現在は政界と一線を画し、芸能活動を再開。

bay fm「森田健作 青春スピリッツ」(日曜午前9時)でパーソナリティーを担当。麗澤大学客員教授も務める。

主な著書に「家庭力」(日本実業出版社)「もう少し努力してみないか」(日本能率協会マネジメントセミナー)「批判するだけでは変わらない」(KKベストセラーズ)がある。



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