
---ご自身が立ち上げた劇団東京乾電池が、創立30周年になりました。今までを振り返った感想を聞かせてください。
そうですね、よく続いたなという感じです。30年って言葉でいうのは簡単だけど、ほとんどの劇団はこんなに長く存続できないから、すごいですよ。今までに解散の話題も出なかったし、団員同士でモメることもなかった。劇団の中に自分の劇団を作っても良かった上、今度の公演は出ない、なんていうも大丈夫だったんです
---すごく自由な雰囲気なんですね。
好きなようにできるところが、存続の秘訣だったのかもしれないね。創立メンバーの柄本と綾田と僕のやりたいことが、少しずつ分かれてきてるとはいえ、基本的にお互い芝居が好きという、その気持ちが大切なんじゃないかな。もしかしたら僕が柄本より芝居が上手くなったら、解散するかもしれないけど(笑)
---創立当時の劇団の在り方というのは。
昔は芝居を即興で作ってたんです。演出家が出演者と大筋を、柄本がキャラクターと設定を決めて、あとはアドリブで。台本がないので自分が担当するシーンは責任を持って作っていかなきゃいけなかった。本番1週間前に即興の台本ができて、それから完成させていったんです
---そうすると動員数も自分の肩にかかってくる。
だからその頃は稽古場がすごく暗くてね。即興だとどうしても内容が同じになって、飽きちゃうし、数をこなすほどアイデアが出なくなる。それが辛い。重い雰囲気の稽古場でした
---脚本家がいれば楽だったと思いますが…。
脚本家をやりたい奴がいなかったし、乾電池を作る前にいた自由劇場という劇団が、即興でやってたんです。それを引き継いだ形ですね
---辛くても芝居を続けようと思ったのは?
最初は苦しいんだけど、本番近くで芝居が決まるにつれて、だんだん藪の中から抜けていくんですよ。必ず2週間はどうしていいか分からなくて、ドツボにはまるんですけどね
---その辛さを分け合った柄本さんは、ご自身にとってどういう存在なんですか?
基本的にはライバルです。目の上のタンコブともいいますが(笑)。でも彼がいないと僕は存在しないし、師匠でもある。芝居がいいから僕もついていけるし。そう思えなくなったら解散ですよ。彼は本当にいい俳優だと思います
---ご自身になく、柄本さんが持っているものは。
上昇志向ですね。目標が高くて、勉強家。あの人は努力の人だから、天才じゃなくて秀才ですよ。空いている時間は芝居に費やすし、とにかく知識はすごい。僕なんて昔の作品のデータがすぐに出てこないけど、彼は主役、脇役、監督の名前がすぐに出てきますから
---ではご自身にあって、柄本さんにないものは。
自分では分からないですけど…映画以外の記憶力かな。セリフ覚えも僕のほうが上。でも彼はセリフを覚えてなくても、すごくいい演技をするんです。あれはマネできないですね。この歳になると、努力して芝居が良くなるってことはないんですよ。重要なのは資質、幼い頃からの生活、自分が体験してきたことなんです
---今までの積み重ねが、そのまま演技に反映するということですね。
柄本もすごいけど、もっと上が岸部一徳さん。演技をしていないと思うほど、自然な雰囲気がある。彼はタイガースが解散してから、すごく苦労してるんです。これが役者の気質、存在感となって表れるんでしょう。柄本も含めこんな友達が僕の側にいるのは、幸せなことだと思う
---幸せだけど、苦しい気持ちもありますよね。2人の才能に嫉妬をしますか?
しますね。なんで彼らがいいのか、うまく説明できないのがもどかしい。彼は電車に乗っていても堂々としてるんですよ。周りが見てても見てなくてもどうでもいいやって感じなんでしょう。そういう態度を見てると、僕はとても芝居では敵わないなって思います。柄本は意外と目立ちたがり屋で、見てくれないとヤダって思うタイプだから、ちょっと違いますけど
---作品の作り方で違いはあるんですか? 柄本さんがリーダーだと、従わなければならないジレンマがあるとは思うのですが…。
方向性は違うけど、言い争うことはないです。柄本は分かりにくいものが好きなんですよ。ちょっと意味不明とか、宙ぶらりんの部分が面白いとか、難解な内容が好きなんです。芝居の楽しみ方も違うしね。柄本の笑いというのは少し高いですよ
---ベンガルさんが好きな芝居というのは?
シリアスが好きですね。シリアスであり、喜劇でもある芝居が好き。喜劇は作品をとことん詰めていって、それが笑いになるのが一番だと思う。幸せな笑いっていうのは、その場限りのもので、軽いんですよ。笑っている人がいる反面、誰かが不幸になっている部分がないと
---では、ドツボを繰り返して30年経ちましたが、これから劇団として目指していくものは。
僕自身はやっぱり喜劇をやっていきたいですが、内容はどうであれ、30年とはいわずに長く続けられればいいなと思います。ガード下の焼き鳥屋で劇団を作ろうと熱く語った日から、まさか30年持つとは思いませんでしたよ(笑)。3人から始めた劇団が、今では40人以上ですからね。本当に大きくなりました
 ---自由劇場に入る前は学生だったんですよね。
大学生でした。といっても、周りの友達はマージャンに酒にオンナと、バカばっかりで、授業もつまらなくて。親には申し訳なかったけど、授業にちょっと出れば単位はもらえたから、とにかくサボりまくってました。ヒマでヒマで、時間ばかり持て余してて
---劇団に入ったきっかけは何ですか?
ある日、テアトロという演劇雑誌を読んでたら『舞台劇団夜の部 試験ナシ』という記事を見つけちゃって(笑)。芝居なんてやったことないのに、面白そうだなと
---役者になるぞ、という強い気持ちもなく、退屈な日々から抜け出たくて入団してしまった。
こういう世界もナシではないなと思って。それが何回か通ううちに、面白くなってきちゃった。で、25歳まではやってみようと。親に頭下げて、就職はちょっと待ってくれって
---社会に出たばかりの頃は、芝居の稽古をしながら、アルバイトで食べてたんですか?
そうですね。ウエイターや展示会の建物のパネルを立てる仕事、とにかく日銭になるものを。
バイトを辞めて、芝居に打ち込めたのは28歳の時でした。それまでは親が東京にいたものの、一人暮らしでしたから、目が覚めたら財布の中は10円だけ、なんてことはしょっちゅう
---どうして自由劇場を辞めたんですか?
だんだんオシャレな芝居になってきちゃって、僕らは性格的に合わなかったんです。暗い4畳半で作るような、身近なものを芝居にするのが好きだったから
---自由劇場を出てから、柄本さんと綾田さんの3人で東京乾電池を作ることになりますが、周りの友達はサラリーマンになってるんですよね。
劇団を立ち上げたばかりで、将来に不安を感じることはあったのでしょうか。
27歳の時に、親にも申しわけないし、劇団もどうなるか分からなくて悩んだことはありました。ちゃんとした仕事に就いたほうがいいんじゃないかと弱気になったりして
---それを乗り越えられたのは?
悩んでいるうちに、大きな仕事が入ってきて。28歳の時に『笑っていいとも!』の前身の番組『笑ってる場合ですよ!』の出演が決まって、突然食べていけるようになったんです。内容はその日の新聞から、作家がネタを拾って台本を書いて、それを僕たちが演じるというショートコント。台本はあっても、細かいギャグは僕たちが考えてました
---当日ネタが決まって、短い時間でギャグを考えて…というのは、即興で芝居を決めていた、劇団の経験が活きたということですね。
そうですね。ちゃんと生きていれば、いろんなことが役に立つ(笑)。でも安定することはない。いつも不安な日々で…よくここまで来たなって思う。いつダメになるか分からないですよ
---大きな劇団に所属されてますし、仕事をたくさんこなしても、不安は拭えないですか。
僕らの仕事というのは、常に再来月の手帳が真っ白なんですよ。出演の決定が早いのは主役クラスだけで、僕みたいな脇役は決まりが遅い。今、手帳を見ても真っ白なんだけど、来月になると、なんとか仕事が入ってる。役者になって30年間、この繰り返しなんです
---来月になったら仕事が入ると分かっていても、真っ白な手帳に慣れることはないんですね。
ないです。とうとう仕事がなくなってしまったか…これで終わりか、これで収入がなくなるのかって思います。サラリーマンみたいに月々の給料があるわけじゃないし
---現在はテレビ、映画、舞台と、いろいとなシーンで味のある役者としてご活躍されてますが、映画デビュー作は『赤塚不二夫のギャグポルノ気分を出してもう一度』ですよね。”新宿の男”という役で出演されてますが。
役所の入り口で離婚する、しないってモメている役でした。ポルノとはいえ、映画に出たかったので、出演に迷いはなかったです。中野区役所でロケをしたんですが、内容が内容なので、撮影許可が取れない。で、アポなしで撮影したんですが、監督がカチンコの合図を出すと、撮影していることがバレてしまうので、自分でやった(笑)。観葉植物の後ろに隠れてスタンバイして、サッと撮った後、ロケバスに逃げるように帰ったりして。撮り逃げですよ(笑)あれは面白かったな
---すごい作品ですね…今のベンガルさんからは考えられないような、ゲリラ作品。
駆け出しの頃は、なんでもやりましたから。でもこの作品は監督が山本晋也さんで、僕も出演した『病院へいこう』の滝田洋二郎さんが助監督という、豪華な映画だったんです
---今までに73本の映画に出演されてますが、仕事は映画を中心に考えてらっしゃいますか。
僕は舞台が中心だと思ってます。でもテレビ、映画、なんでもやっていきたいですね。オファーがくるということは、本当に光栄ですし。映画は1シーンごとに丁寧に撮るし、後世に残るので、どんどん出ていきたいです
---大林宣彦監督と、数え切れないくらいたくさんの仕事をされてらっしゃいますね。
『異人たちとの夏』から、全編出てます。監督が僕の何を気に入ってくださったのか分からないんですけど、大林さんはファミリー的な性格があって、一度使った役者はまた使う、という主義なんです。
だから、主役で使ってくれたあと、別の作品ではセリフのないシーンで出してくれる。役者の使い方がとても上手な方です
---それでは、素晴らしい監督やライバル、いろいろな方とめぐり合って、劇団を代表する役者となったご自身から、俳優を仕事にしたいと思っている読者にアドバイスをもらえますか。
…薦められる職業じゃないですね。どうしてもやりたいという意志を持っているなら別ですけど。だって大変ですよ、いったい何人の俳優志望がいて、どのくらいが食べていけるか
---では、ご自身にとって仕事とは何でしょうか。
僕を成長させてくれるものですね。成長させてくれる一番大きな要因は、仕事の中の人間関係。死ぬ時に面倒を見てくれるのが、大切な人間なんじゃないかな。それと、やっぱり困った時には友達でしょう。だから僕は子供たちには友達を作れ、裏切るなと教えました。友達は財産だと思います…まぁ、柄本は目の上のタンコブともいいますけどね(笑) |
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INFORMATION
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創立30周年記念公演
劇団東京乾電池祭り
出演:劇団東京乾電池
柄本明・ベンガル・綾田俊樹・角替和枝・宮田早苗・江口のりこ・蛭子能収ほか
演出:柄本明
演目:
長屋紳士録
作/小津安二郎 池田忠男
夏の夜の夢
作/W.シェイクスピア 翻訳/福田恆存
眠レ、巴里
作/竹内銃一郎
授業
作/イヨネスコ 翻訳/安堂信也 木村光一
2006年4月19日(水)〜30日(日)
東京・下北沢 ザ・スズナリ
世田谷区北沢1-45-15
TEL:03-3469-0511
PROFILE
-------- ベンガル(べんがる)
1951年8月17日生まれ 東京都出身
自由劇場を経て、1976年に柄本明、綾田俊樹と劇団東京乾電池を結成。
後に高田純次、小形雄二、岩松了らを加え、アナーキーな笑いを武器にした若手人気劇団として急成長する。
創立25周年にあたる2001年にはシェークスピアの『夏の夜の夢』を柄本明の演出、劇団員総出演により上演。
今月19日から30日まで創立30周年記念公演劇団東京乾電池祭りを上演する。
映画NANA、ピーナッツ、楽園〜流されて、県庁の星や今年1月期のテレビドラマ神はサイコロを振らない、そして舞台など幅広く活躍。映画公開待機作に男はソレをがまんできない、enma
noteがある。
最新情報: http://www.knockoutinc.net/
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