The Greatest person's vibration
直撃!インタビュー!!は蛭子能収さん(前編)

蛭子能収

◆ご自身初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』が復刊しますね。
「だけど印税は期待できないでしょうねぇ。あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていませんから。でも、いいんです。オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」

◆蛭子さんはテレビ出演で充分に稼いでいますもんね。『スーパーJOKEY』の熱湯風呂は1回につき20万円もらえたとか。
「当時、オレと同い年の会社員の月収が25万〜30万ぐらいだったと思うから、1日2本撮りで1日でサラリーマンの月収を稼いでいたんですよね。そんな割のいい仕事なんてほかにはないから『熱湯風呂ぐらいドンドン入るよ!』って」

◆(一同爆笑)ただ近年は、テレビのギャラも下がってきたそうで。
「そうなんですよ! 一時期、年収1億円とか稼げてたんですよ。それがここ10年、5千万もいかなくなってきたんですね」

◆それでも凄い年収です。今のポジションを得るのは柄本明さんとの出会いが大きかったのでは?
「今でも感謝してますね。柄本さんからある日、電話がかかってきたんですよね。東京乾電池のポスターを描いてくれませんか? って。そうしたら『ウチの芝居に出てみませんか』と言われてオレ、断ったんですけど、台詞が一切ない役で出たんです。それを偶然観てたフジテレビの故・横澤彪プロデューサーが『笑っていいとも!』に呼んでくれて、そこから一気にテレビの仕事が増えたんです。当時、文化人をテレビに出すブームで、オレはブームに乗って出てきただけなんですよ。ただ柄本さんには、『オレがここまで来たのは柄本さんのお陰だからお金をあげたいです』と言ったら『じゃあ頂戴よ』って言われましたけど」

蛭子能収
◆でも職業は? と聞かれたら漫画家なんですよね。
「と言いたいですね。漫画は、最近あまり描いてないですけどテレビタレントと名乗るのは抵抗があるんですよ。ただ、漫画を描く見返りにお金は期待してないです。でもテレビに出てる時、即興で漫画を描いてくれって言われることも多いんですけどアレ、結構面倒くさいんですよ、実は」

◆ですがその依頼も断りませんよね。蛭子さんの人生を見ていると“仕事を断らない”がキーワードという印象があります。
「お金は食う分だけあればいいと思ってますけど、漫画家になる前から夢を叶えるより生活費を確保する方が先だという思いがずっとあるんです。昔から『1日3食食べるためにはいくらかかるか』って考える癖がありました。オレが20代で独身だった頃は、300円あれば1日3食分を賄えたんですけど、高校を卒業して最初に就職した看板屋の月収が8千円だったんですよ。食費にはちょっと足らんぐらいなのに、100円持ってパチンコに行ってました」

◆当時から根っからのギャンブラーじゃないですか!(笑)
「パチンコは毎日欠かせなかったですねぇ。でも昔のパチンコは安い金でかなり遊べたんですよ。50円分の玉が1800円分になることもあったんです。食費6日分ぐらい稼げちゃう。今は遊び感覚でやるから合計で1億2千万以上負けてますけど、当時は必死だったから勝つ割合も多かった気がしますね。人間、“ここで勝たにゃならん!”って時には必死になるもんです。今の競艇場は年金を使う年配の人もたくさんいて、そういう人も必死だから勝ってるんじゃないかなあ。使える金が少ないと本命狙いになるでしょう。オレは今んとこ穴狙いだけど」

◆ただ蛭子さんは大負けしても人にお金を借りない主義だとか。
「借りた金でギャンブルやっても勝てんでしょう。オレは借りないし貸さない主義です。テレビに出始めた頃、『貸して』という人がわんさかいたけど、返ってきた試しがない。貸しても本人の為にならないし、人に金を借りる人生を送ってちゃ、ロクな人間にならないですよ。この前ね、兄貴と熊本の競艇場へ行ったんですけど、兄貴にも貸さない。兄貴は、少ない手持ちの金で遊んでましたよ。それを見てオレは、自分の購入金額を隠しましたけど(笑)」

◎取材・文/内埜さくら
◎撮影/おおえき寿一
【後 編】