仕事情報誌ドカント
仕事情報誌ドカント
萩本欽一 Rocki'n Jelly Bean 阪田瑞穂

ロッキンジェリービーン
ロッキンジェリービーン
Profile1990年より活動。
日本のみならず海外でのシーンも高い評価を得る。
「JACKIE&THE CEDRICS」のベーシストとしても活躍。
1992年より上野「BEATNIKS」よりオリジナルT-SHIRTSブランド「HARDCORE FACTORY」を発足。
1996年より活動の拠点をL.A. に。海外アーティストとも交友を深めている。
1997年、フルオリジナルブランド、「EROSTY POP!」を発足、日本、アメリカでリリース。
1998年にはカルトホラー映画「キラーコンドーム」のポスターに挑戦。
その後も「パラサイト」(米98)「震える唇」(日99)など映画関連の宣伝にも携わる。
2005年、活動の拠点をOSAKAに移す。
ジェリービーンファン待望のSHOP「EROSTIKA」にはプロデュースブランド「Erosty pop!」も販売。左記掲載のTシャツはオリジナルの商品で、販売は当店だけなので売り切れ必至。お早めに!
150-0001
東京都渋谷区神宮前3-27-21 B1F 
tel:03-5775-0924
fax:03-5775-0925
OPEN 11:00〜20:00
http://www.erostika.net/
子供の頃から絵だったら人より目立てる!と思ってたので、画伯になるのが夢だったんですよ。
◆子供の頃はどんなお子さんでしたか。
「そうですね、極めて普通でしたよ、一般サラリーマン家庭の子供。ま、多少友達よりも目立ちたがり屋だったですかね。でも、絵を描くのは好きだったので、休み時間には外であそぶよりも似顔絵描いてるような子でした」

◆ということは、やっぱり絵が上手だったと思いますが、デカい賞をもらったことがあったとか?

「それが一度もないんだよねぇ〜。自分の場合は『絵が上手い』というより、器用な子供だったわけで、賞の対象となるようないわゆる子供っぽい、のびのびした絵を描いてなかったんだろうね。先生に褒めてもらえるような作品って、子供らしい内面が生き生きと出てる絵だったりするじゃん。なのに自分は子供だから上手く描こう上手く描こうとテクニックに走ったりして、絵のホントの良さみたいなのに気が付いてなかったんだね。もしかしたらまだ気が付いてないのかもしれないけど」

◆賞をもらったことがないとは意外ですね…業績はなかったとしても、ゆくゆくは絵の仕事に就きたかったですか。
「描くことは好きだったから、やっぱり最初はマンガ家になりたかったんだけど、どうも自分は描くペースが遅かったし、ストーリーがうまく組み立てられなかったので、ある段階で諦めた。で、なんか絵が描ける仕事が他にないかなって考えてたんだけど、その頃は具体的には思いつかなかったかな。でも何かしらクリエイティブな仕事をするぞ、ってのは決めてましたね」

◆芸術的な仕事にはバイト話が付き物ですが、面白い経験はありますか。

「色々やりましたよ、人生経験ですから。薬のモルモットみたいなのもやったなぁ…といっても市販の薬を売る契約上、しなければならない実験だったとかで、簡単なもん。一週間ほど入院してただ採血をするだけ、しかも3食昼寝、マンガ付き! みたいなかなりイイ待遇だった。そういえばそこで偶然、DMBQのギターの松居君と会ってたなぁ。どうやらその仕事はミュージシャンが結構多かったらしい」

◆世の中って狭すぎますね。他にも思い出に残ってる面白いバイトは?
「ラブホテルの内装で、ブラックライト用の絵を描く仕事。地方に行ったりするんだけど、新潟で仕事があるっていうから、友達を一緒に誘って連れていったら、そいつの実家の街だった(笑)。まぁ、もう覚えてないことも含めて、色々やったと思いますよ」

◆絵を描くといってもいろんなジャンルがあるんですね。ちなみに、バイトでもらった給料は何に使ってましたか。
「もちろん生活費です。あとは結構レコードとかだったかも」

◆バイトを経て、画伯という職業に就きましたが、何か他にやりたかった仕事はありますか。
「なる前にやりたかった、というわけではありませんが、ストリップのマネージャーとか夢だよねぇ(笑)。女臭い楽屋でケンカの仲裁したり、女にちょっかい出したりして“オマエもう帰るのか? どうせ男だろ、ちゃんと避妊しろよ! お疲れー!”みたいな(笑)。普段は鬼のようで一見、嫌なヤツなんだけど、実は熱い漢だったりして“コレ田舎のおふくろさんに送ってやれ。カネ必要なんだろ”とか優しい言葉をかけたり…そんなキャラになりたかったですね」

◆実際にマネージャーになっていたら、辣腕だったかも知れませんね…画伯に繋がる仕事に就いたことはありますか。
「フリーで仕事を始めだしてすぐかな、一度だけデザイン事務所に勤めていたことがあります。自分もまだ実際の現場のことをよく知らなかったので、とにかく急いで何から何まで覚えましたね。半年ぐらいで忙しくなってきたので辞めました」

◆それから現在に至るわけですが、画伯になろうと決めたきっかけは?
「なんでしょうね? ハッキリとはないのですが、子供の頃から『絵だったらオレ、人より目立てる!』と思ってたから、なるのが夢だったんですよ。だってかっこいいじゃない」

◆具体的にどなたが好きなんですか?

「あまりに多すぎていい尽くせないんですが、どんなにくだらないことでも、何か人類のためになる物を作ってるかたは尊敬するし、憧れますね」

◆ジェリーさんの個性的なタッチは、憧れている多くの画家のテイストを引き継いでいるのかもしれませんね。
「色んな物を見よう見まねで取り入れたんですけどね。イラストを描くときにはイメージが夢の中で出てくることが多かったりするので、意識の底にある、今までに積み上げた経験が作品に影響してるんだと思います」

◆インスピレーションは夢に出てくるとしても、作品を生み出すにも多くの苦労があるのではないかと。画伯にならなきゃよかったと思うことは?
「それはないですね。自分の好きなことで生きて行けているので何も後悔はないです。けど、名前が知られるようになってからが自分的には大変だったかな。例えば、自分自身のプレッシャーとか。それまでは“クソ!絶対認められてやる!”みたいな気持ちと勢いでやってますからね、気は楽なんですよ。だって登ることだけを考えてていいんだから。向かい風より追い風の方が足すくわれそうでしょ!」

◆有名になってから行き詰まることが多いのかもしれませんね。渡米したのも絵描きの見聞を広めるためですか?
「もちろんそうです。まぁ向こうでは結構遊んでましたけど(笑)。飛行機の免許取りに行ったり、スキューバーやヨットもハマったねぇ。自分のペースで生活できるんで良かったですよ」

◆向こうで、やっぱり自分は日本人だなぁ…と感じたことはありましたか?
「これは対比的なもんでね、日本を離れるとスッゴイ日本のことを感じるわけ! グローバルに見て、日本のイイところも悪いところも。だからこっちに来るまで自分のこと『アメリカかぶれ』だなんて思ってたけど、全然!!!頭の先からつま先まで俺はバリバリ日本人やないかぁ〜って感じるよ!」

◆日本人のアイデンティティを自覚したことってかなりの収穫ですよね。他に海外で得たものはありましたか。
「これはハッキリいって、友人だね!
先週末、妻と仕事のパートナーにまんまと騙されてお別れサプライズ・パーティーされちゃいました! 軽い打ち合わせだと聞いて行ってみたら、ナント自分に内緒で200人くらい友達が集まってて、しばらく気が動転しました。けどそのとき“これが俺の財産なんだなぁっ〜”ってひしひしと感じました」

◆日本に帰ってきてやりたいことは?
「かなり色々あるけど…ありすぎますね。ただ、これからもお客様第一をモットーに(笑)やっていこうかと」

◆では最後に、イラストレーターになりたいと思っている方にアドバイスを。
「う〜〜んんん、、、。自分的には仕事が減るので、何か違う仕事はどう?」

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