大阪の風俗業界で生き抜いた男の25年【夜の仕事人インタビュー】
■岩田徹也氏(仮名・44歳)の場合
- 『やっぱりイカつい人じゃないか……』
待ち合わせの店に入ってきた男性を見て思ったのはそれだ。
知人の風俗ライターから、『大阪風俗の“生き字引”(じびき)みたいな人』といって紹介を受けた男性、岩田徹也氏(仮名・44歳)。
待ち合わせ場所は、大阪ミナミ、宗右衛門町の片隅にある焼鳥屋であった。
岩田さんはあざやかなブルーとイエローが織り込まれた派手なセーターに黒いスラックスという出で立ちでやって来た。
恰幅のよい体型に口ひげをたくわえ、髪型はアイパーのオールバックスタイル。
そのお姿は堂々としたもので、間違いなく道で会ったら避けて通るタイプの人。
『全然ヤバくないってメッチャおもしろい人だから』知人ライターはそう言っていたが、まるでカタギには見えないじゃないか。
「スンマヘン、お待たせしました~岩田ですぅ」その猛々しい風体からは想像できない、かん高い猫なで声で挨拶をされた。
「しかし、ボクの身の上話を聞きたいなんて兄さんも酔狂な人でんな~」
“一人称はボク”なんだ……ギャップにうまく返事ができないでいると……「ここの払いは“兄さん持ち”で、ええんでっか?」
人懐っこい満面の笑みで岩田さんは続けた。もとより、取材のギャラも満足に払えない身上だ。この店の支払いは私が持つつもりでいたが、さすがは関西人、しっかりしてるものだと感心しながら首を縦に何度も振った。
すると岩田さんはニカッっと笑い「お願いしま~す」と高音ボイスで店員を呼んだ。こう(?)見えても、彼は大阪市内を中心に複数の店舗を運営しているデリバリーヘルスのグループで店長職に就いている。
「メガハイボール、おかわりちょうだい」
店員が持って来たメガをガラガラと一瞬で飲み込む岩田さん。
いやいや、イカつい風貌に人懐っこい笑顔、時折見せる押しの強さにハイトーンな猫なで声……なかなか一筋縄ではいかない男と見た。 ■札付きの“ワル”だった少年時代。15の夜ならぬ、19の夏。
- 岩田さんは大阪の隣の兵庫県尼崎市出身だ。
まあしかし、隣の県とはいっても阪神尼崎駅から大阪キタの梅田駅までは淀川を跨いで電車で10分足らず、“ほぼ大阪”のようなものだ。
岩田少年はその地ですくすくと育ち、地元の工業高校に進学する。
当時、巷では映画の『ビー・バップ・ハイスクール』が大人気、流行に乗り遅れまいと岩田少年もリーゼント&短ラン&ボンタンのヤンキースタイルでキメて街を練り歩き、タイマンとカツアゲを繰り返す日々を送り、入学から1年余りの間で何回か補導をされたあと、晴れて退学と相成った。「あの頃は悪かったねぇ……仲間とつるんで肩で風切って街を歩いて、他校の奴とはち合わせしたら『何メンチ切っとんじゃ』ってケンカですわ。ホンマにひどいもんやった」
3杯目のメガハイボールをグイグイ煽りながら当時を回顧する岩田さん。
高校中退後は、同じく退学した仲間とつるみながら地元で怠惰な日々を送っていたという。「アルバイトなんかする気もないし、カツアゲやら家の金を盗んだりやらで小銭をせしめて、パチンコやゲーム喫茶に入り浸ってね……そんな暮らしを2年も続けると金も尽きるし退屈してきてね」
※注…ゲーム喫茶はゲームセンターではない。非合法な大人のゲームセンターのこと。そして今から25年前、19歳の夏に転機が訪れる。
「朝から仲間と喫茶店に入り浸っててなぁ。ヒマやから置いてあるスポーツ新聞を片っ端から開いてなぁ、今まで見てなかった求人広告が入ったページをぼんやり眺めてたら、見つけたんや」
そこで目にしたのは風俗店が男性スタッフを募集する三行広告だった。
■『高給・日払い可・大国町・風俗店・男性従業員急募』
- 「内容はこのぐらいのもんやったなぁ。なんせ三行広告やから」
しかし岩田さんはピーンと来た。
「風俗の仕事やから土方(ドカタ)よりは楽やろうし、当時の風俗店なんて今よりもっとウサン臭い場所やったから、そのぶん給料はええやろうと。いわゆるハイリスク・ハイリターンってやつやね」
岩田さんは喫茶店にいた仲間たちに一緒に働こうと誘ってみた。が、彼らの反応は冷めたものだった。
「『風俗店なんかどうせ裏ではヤクザが糸引いとる』とか、『そんなトコに入ったら一生抜けられへん』とか言うて腰が引けてもうててな。皆いつもは『ヒマやから強盗でもやったろか』なんて大層ガラ悪いこと言ってるくせに根はビビリやってん。ボクは鼻で笑って喫茶店の電話から風俗店に電話したったわ」
■大阪“大国町”の風俗店でアルバイトをスタート!
- ――当時の大国町の風俗店というと“マンヘル”ですか?
「そや、よう知っとるね。あの頃は大国町や新大阪、日本橋あたりにぎょうさんマンヘルがあったんや」
※注…マンヘルとは、マンションヘルスの略で、マンションの一室を受付所にして同じ建物内に借りている複数の部屋をプレイルームとして利用する風俗店のこと。――当時、なぜ大阪ではマンヘルが流行したのですか?
「それはな、バブルがはじけたあと、大阪の中心地近くのマンションにも空き部屋が目立つようになってな、それを利用する形でマンヘルが増えたっちゅうこっちゃ。いくら不景気になっても人間“性欲”は抑えられへんからなぁ。やけどその頃は、風営法に則って風俗店を新規オープンするのが難しかったのも要因やったと思うで。今でいうデリヘルも非合法やったからな」
――当時のマンヘルって非合法だったんですか?
「非合法も非合法、完全なる風営法無届け営業やったで。あの頃は、東京でも無届け営業の性感ヘルスやイメージクラブがあふれとったんや。歌舞伎町や渋谷、池袋の繁華街にド派手な電飾看板まで掲げてな。それに比べりゃボクらなんてマンションでひっそりと看板も出さず営業しとってんから奥ゆかしいもんや」
――マンヘルの仕事内容を教えてください?
「仕事は今のホテヘル(ホテルヘルス)に似てるわ。まずは受付でお客さんの電話応対や。受付いうてもマンションの一室で看板も出してへんから、新規のお客さんは来られへん。だからお客さんをマンションの受付に誘導せなあかん。で、お客さんが来たらその応対や。店のシステムの説明、女の子の写真を並べて指名の確認、料金の受け取り、それが終わったらお客さんにマンションの部屋番号を伝えてそこへ行ってもらう。マンヘルの場合はプレイルームも店が契約してるマンションの一室で、そこに女の子が待機してるっちゅうスタイルやからな。お客さんと女の子が一緒にホテルに入るホテヘルとの違いやな」
――接客以外の業務は?
「女の子のシフト管理に清掃、広告屋さんとの打ち合わせ、そんなもんかな。まあ今と比べたらのん気なもんやったで。なんせまだインターネットが発達してへんかったからな。あの頃からホームページはあったけど、今みたいに毎日情報を更新せなアカン時代やあらへんかったからな」
――当時お給料はどのくらい貰ってたんですか?
「アルバイトで日給1万円の取っ払い。基本は日払いやね。週に5~6日で働いてたから、月給20~25万円くらいやな。あの不景気の時代に高校中退で二十歳前の小僧にはなかなか稼げん金額やったわ」
■“マンヘルブーム”で毎晩ウハウハ?ボーナスは3ケタ!
- ――その後もマンヘルでアルバイトを?
「短期のつもりで始めた仕事やってんけどな、給料がよかったから続けてたら途中から正社員みたいな待遇になったんや。とはいえ非合法な店だし社会保険なんかも一切なかったから、正社員になったというより、給料が上がったり経費が使えるようになったり、待遇がよくなったって感じやな。まぁでも、そこからは月給30万円は超えるようになったし、“マンヘルブーム”で店はウハウハの大盛況やったからな」
――マスコミでもマンヘルブームって騒がれてましたよね。
「そうやで、地上波のテレビでも風俗店の紹介がバンバン流されてた時代やからね。もう朝から晩まで一日中予約で部屋が埋まってる感じや。店長が毎晩キャバクラに連れてってくれたり、ボーナス100万円出してくれたりな。地元の仲間うちでは一番稼いどったんちゃうかな。いやちゃうな、闇金やってる奴のほうがごっつ稼いどったわ」
――マンヘルブームは、当局からの摘発で終わってしまうんですよね。
「そうや、そらもう全部ツラ~っと摘発や。そんであっさりブームは終了してもうた。2000年頃から住民の反対運動や反対デモが起こってな、警察もこれはマズイと動いたんやろな」
――そこから浄化作戦が始まったと。
「そうや。ボクはその頃現場を任されるようになってて、月給50万円を超えとったからな。『なんで人の職場を奪うんじゃ』と憤慨もしたけどな。しかしマンヘル全盛期の頃は、大国町だと、マンションの部屋全部が風俗店になってる建物まであって、さすがにヤバいやろと思っとったからな。あれはしゃあないわ」
岩田さんが勤務していたマンヘルは摘発の嵐が吹き荒れるなかしぶとく持ちこたえたが、2002年ついに摘発される。
そして店はそのまま廃業、岩田さんは失業の身となった。 ■勤務していたマンヘルが摘発され…転職へ
- ――マンヘルが摘発されて廃業したあとの、身の振り方は?
「しばらく仕事せずにブラブラしてたね、結構貯金ができたからな。ボクはこう見えて“打つ”と“買う”はほとんどやらんねん。それに“飲む”のもせいぜいスナックか、こういう安酒場で充分やしね。おごってもらう身でそんなこと言うたらアカンか」
――次の仕事はどうやって見つけたましたか?
「大国町でマンヘルをやっとった別の業者が、今度は“合法的”にデリヘルの営業を届け出てミナミに受付所を構えて店をやっとると聞いてな。しかも女の子と客を“一緒に”ホテルに送りこんどると。そんなやり方もあんねんやって感心しとったんや。そう、今のホテヘルやな。そしたら昔に同僚やった奴から電話がかかってきたんや『ミナミのホテヘルで働いてんねんけど一緒に働かへんか?』いうてな」
――今度はホテヘルで働くことになって、収入面はどうなりましたか?
「元々マンヘルでバリバリやっとったから、要領よく仕事しとったら1年足らずでマネージャーに昇格して、月給50万円超えや。おまけに今度は“ホテヘルブーム”で店はいつも繁盛しとったから、歩合もバンバンつくしボーナスもぎょうさん貰えたしな。そんで3年目には店長に昇格して月給80万円超え、30歳手前やったな」
――20代後半で月給80万円、しかも今度はホテヘルブームって運がよいですね。
「なんせ大阪でマンションを何千部屋も使っとったマンヘルが一気に消えてなくなったんや、その性欲はどこに行くっちゅうねん!それがホテヘルに流れたんや」
■黒字経営のホテヘルが閉店!? そして再び転職
- ――ホテヘルではどのくらい働きましたか?
「5年ほど働いたかな。というか、お店が潰れてもうたわ」
――えっ、潰れた?ホテヘル人気で繁盛していたのでは?
「ああ繁盛しとった。やけど儲けすぎたんか、税務署に目ぇ付けられてな。税金なんか一円も払ってなかったから恐ろしい“追徴”が来て店のオーナーは雲隠れや」
――そんなこともあるんですね……その後は?
「またブラブラや(笑)しかしな、ここまで来ると風俗店は稼げるって身に染みてるから、求人サイトを見て梅田のホテヘルに応募したったわ」
――普通に求人サイトを見て応募?当時業界10年以上のキャリアがあるのに?
「まあ色んなお誘いはあったけどな。今は違うけど昔はウサン臭い業界やったんや。働いてる奴らもいろいろヤバイのも多いから面倒な人間関係も増えてくるしな。そんなんをスパッと断ち切るのも大事なんやで」
――なるほど。そこで一から求人サイトで選んで新しい環境に身を置くと。
「そんで面接に行ってみたら、そこのホテヘルの店長もマンヘルからの叩き上げですっかり話が盛り上がってな。採用されて半年でマネージャーになって、2年目からは店長や。また前のホテヘルと同じくらいの給料、月給80万円を貰えるようになってん」
――さすが、キャリアは身を助けますね。
「やっぱりどの業界も経験者は優遇されるで。当時は大阪の風俗業界といっても狭い社会や、『●●店で店長をやってた男』ってわかれば人材難のこの業界では重宝してもらえるで。仕事も早いし女も呼べる。しかもボクは5年働いたホテヘルの顧客リストを退職金代わりにいただいて来たしな(笑)」
■そして現在のデリヘルグループへ…年収1千万円の高収入!
- ――今の勤務先はデリヘルですから、そのホテヘルからさらに転職したのですね?
「そういうこっちゃ、そのホテヘルでも5年近く働いてたんやけどな」
――どうして辞められたんですか?まさかまた税務署が?
「ちゃうちゃう、そのグループは今も残っとるわ。なんでかいうとな、昔一緒に働いてた時の後輩からお誘いの電話がかかって来てん。『ミナミのデリヘルで働いてんねんけど一緒に働きまへんか?』って」
――どこかで聞いたようなお誘いですが、でもホテヘルで高収入だったのに転職しなくても……
「でもな、ホテヘルって“既得権”で営業しとるから、新規出店ができんのや。対してデリヘルは新規出店が可能やから、これからはデリヘルの時代になると思って誘いに乗ったんや」
※受付のあるホテヘルは2006年の風営法改正で実質的に新規出店が不可能となる。――そして今のデリヘルグループに転職して店長に昇格されたと。
「そういうこっちゃ。入店後1年足らずでマネージャーになって3年目から店長や。給料は月給70万円。ウチのグループは店長やと売上に応じた歩合が他店と比べてデカいねんけどな、お店が繁盛してるおかげで年収1千万円超えも達成したで」
――それだけ儲かってるってことは、大阪ではデリヘルが流行中ですか?
「ウチのお店はデリヘルのなかでも待ち合わせ型ちゅうジャンルやねん。これが今大阪で流行っとってな、一つの業種に分類されるぐらいの勢いやねん」
――待ち合わせ型のお店がどうして流行ってるんでしょう?
「ボクの推測やねんけどな、ラブホテルでデリヘルを呼ぼう思ったら、まず一人でラブホに入らなアカンやろ。それって慣れた人間やないと抵抗あるねん。そんでホテヘルの場合は受付に行かなアカンやろ。看板もなくて“18禁のステッカー”だけ貼ってあるホテヘルに入って行くのって、これまた抵抗があるんとちゃうかな。受付でボクみたいな奴と話さなアカンしな(笑)」
――わかるような気もしますが……
「それが待ち合わせ型やと全部解決するわけや。デリヘルみたいに一人でラブホに入ることなしに、女の子とカップルのようにホテルに入って行けばいいし、ホテヘルみたいに受付に行くことなく電話してからそのまま女の子と会えるしな」
――お客さんが遊ぶ際の気持ちのハードルが下がると。
「そうや!風俗業界の流行りって関西から生まれることが多いやろ?ノーパン喫茶とかな(笑) ホテヘルなんかもそうやし。近々東京で待ち合わせ型がブームになるかも知れへんで」
――待ち合わせ型のデリヘル、ホテヘルと仕事内容に違いはありますか?
「待ち合わせ型といってもデリヘルやからな、事務所や駅の近くで待ち合わせするケースが多いけど、他のエリアに派遣する場合もあるから送迎ドライバーが必要になる。ドライバーの管理もホテヘルにはない業務やな。デリヘルは男性スタッフがお客さんと直接会うことがないからな、その分電話応対には神経を使うわな」
なるほど。岩田さんの風体に似合わないカン高い丁寧な口調は、長年の電話応対で培った賜物だったのか。
たしかにこのイカつい姿を見ずに声だけ聞いていると、優しい中年男性を思い浮かべてしまう……かも知れない。と思ったが口には出さなかった。「今までは常連客と受付で世間話とかしとったけど、それがなくなったんはちょっと寂しいわな」
■風俗業界で25年のベテランに聞く、成功する秘訣!
- こうして、マンヘルから始まって待ち合わせ型デリヘルに至るまで、さまざまな時代の流行風俗店を渡り歩いてきた岩田さん。
そんな彼に、風俗業界で働くメリットと成功する秘訣を聞いてみた。「中卒でも店長と呼ばれてそれなりの給料を貰える仕事なんて、風俗業界以外にはあんまりないやろ?学歴不問、年齢不問、おまけに容姿も不問や(笑) 魅力的な業界ちゃうかなぁ、体力的にしんどい仕事でもないし」
――やる気さえあれば高収入をゲットできる業界ですよね。では成功するためには?
「まず新人のときは上司や先輩スタッフの言うてることをよう聞いてマジメに働くこっちゃ」
――なんか秘訣にしては普通のことですけど。
「いや、月並みやけどそれが大事やねんて。ボクもな、若い男子を使っている立場やけど、何を一番に評価するかというと“時間を守る”とか“挨拶をする”とか“掃除をする”、なんていう人として基本的なことができてるかやねん。風俗業界ってのは誰でも入って来られるから、変な連中もぎょうさん入って来るわけや。なかには基本的なこともできないええ加減な奴らもおるんや。だから普通にマジメに働いとったらすぐ店長や幹部の目に留まって出世できるっちゅうわけや」
――なるほど、マジメに常識的に仕事を続けていればチャンスが来ると。
「そんで出世して役職付きになったら、女の子や部下の男子スタッフの管理が重要になるんや。なんせ風俗業ってのは、“究極のサービス業”やからな。女の子がやる気を出してくれれば、サービスの質も向上してお客さんの満足度も上がり集客増加につながる。それに男子が効率よく動けば更なる売上アップにつながるんや。そうやって店内の人間をうまく回せるようになったら、自ずと成功への道は開けていくわな。要は“コミュニケーション”が大事っちゅうことやな」
■これからも、風俗業界で生きてくんやろな……
- 最後に、これまで風俗業界一筋の半生を送ってきた岩田さんに今後の人生設計を尋ねてみた。
「う~ん、10代の頃から風俗業界しか知らんからなぁ……なんやかんやいけるとこまで風俗業界におるんとちゃうかな。幸い20年以上この業界で働いて結構な貯金も作れたし、最後はバシーッと現金でマンションでも買って一人気楽に暮らすかな」
――えっ、お一人?ご結婚はされてないんですか?
「バツイチやがな(笑) 20代の頃に飲み屋の姉ちゃんとなぁ……2年半であっさりケンカ別れや。もう結婚はコリゴリやって」
――でもお店に可愛い女の子がいっぱいいると思うんですけど?
「アホか、店長が店の女の子に手ぇ出してどないんするねん。とはいってもマンヘル時代の若かりし頃は店の女の子とバリバリ付き合っとったけどな(笑) でもな、今は女の子が若過ぎて何を言うとるかもイマイチわからん。正直興味もないわ」
岩田さんはメガハイボール6杯を飲み干しながら風俗業界での経験を語ってくれた。
公表NGながらお聞きした驚愕の貯蓄額(非公表)……イカついビジュアルからは想像できない堅実な人柄なのか……まさか現金で家を買えるほどの貯金を作っていたとは何とも夢のある話ではないか。
でもそんなにお金があるのなら、この店の飲み代くらいオゴってくれてもいいのに……冗談めかしてやんわりと告げてみる。
「それとこれとは話が別やで兄さん。そんなことしとったら金は貯まらんねん。そんじゃあ、ごっそさん」
この時ばかりはドスの効いた低い声だった。
宗右衛門町ブルース 平和勝次とダークホース